コースアサイメントは終了、、、そして。
日本で観に行ったミュシャ展入口のポスター
取りあえずコースのアサイメントは本日で終了。
今日と来週の2回に分けてプレゼンをクラスで振り分けられてやったんだが、来週だと良いなーという願いも空しく今日で、4人目で、PPはきっちり用意していたんだけど、どんな風に話すかは全然準備していなかった訳、ほんと後悔した、、、
次からはちゃんときっちりトーク部分も原稿書いていこう。
Pre-sessionalの時に資料とか読むのは良くない!って口酸っぱくして教わったせいでそんなもんなのか、と思っていたけど皆手元に資料置いて読んでたし、そこまできっちりやらんでよかったんだなと、思いました。
そう考えるとPre-sessionalって厳しすぎんだよなー、それが正しい!と思うと他にバリエーションを出して作れなくなっちゃうって言う逆にベーシックにとらわれ過ぎちゃうっていう。私が真面目過ぎるのかもだけど、、、、。
結構プレゼンのスピーキング自体はボロボロだったんだけど、PPの印象が良かったみたいで皆褒めてくれたんだけど、、、それPPだけですよね、サンキューベリーマッチ。
でもまあ褒めてくれる部分もあるのは大事だあね。
次回からはもっと自由にやってみたい。
私はAlphonse Mucha(アルフォンス・ミュシャ)の描いた『スラヴ叙事詩』からの一枚を題材にし、授業のコンセプトから選んだ「政治」と絡ませてのプレゼンをしました。
Muchaは私のお気に入りの画家の1人ですが、スラヴ叙事詩は本当に考えさせられる作品です。そしてスラヴ民族を調べると奥深すぎて題材に選んだのは失敗だったかと思う程まとめるのに時間がかかりました。
『スラヴ叙事詩』でググるとあっという間に色々出てくるので見て頂ければと思いますが、20枚の絵からなるスラヴ民族の神話や歴史を描いていた連作です。これにはMuchaが祖国を想う気持ちと情熱がこもっていると思います。
これは非常に大きな作品群で、1枚が平均610×810と言う大きさです。大きさだけでも圧倒される感があります。
今年の春に日本に、と言うか世界初公開で特別展が開かれたので知ってる方も多いかと思います。私はこの連作を死ぬまでに絶対に見たいと思っていたので、まさか日本に来てくれると思わず、来る前からソワソワし、見たら見たで感動して2回も行ってしまいました。(本当はもっと行きたかった、、、)
生をご覧いただく以外壮大な歴史と物語の変遷と迫力を味わう事は出来ないかと思います。
日本の後中国、韓国、アメリカを経て来年プラハに戻る予定だったようですが、現在はプラハに戻っている模様。今後はどうなるのでしょうか、、、。他国は交渉がうまく行っていないのかもしれません。
プラハでの常設展が決まりましたら私はまたスラヴ叙事詩に会いに行きたいと思っています。
この海外ツアーについては孫であるJohn Mucha氏は海外貸し出しが決定した際、反対の意向を示していましたが、所有者であるプラハ市は海外特別展の許可を出した為かの絵たちは日本へ旅に出ましたが、割とひと悶着ありましたのです。John Mucha氏はMucha Trustを通じて巡回反対の意向を示しています。
またスラヴ叙事詩の所有権等を巡ってプラハ市に対しJohn Mucha氏が裁判を起こしています。スラヴ叙事詩が寄贈の際に約束した事項が守られてないとして、John Mucha氏は法廷上で争っていましたが、プラハ市が勝訴しています。(チェコ語です、翻訳機をお使いください)
クルムロフ城で夏の間だけひっそり公開していて簡単に観に行けなかった時代が嘘のようです。Muchaとの約束をやっとプラハ市が重い腰を上げて実行したということも考えられますが、孫は専用の美術館を作るべき、として断固戦う姿勢の模様。
今後もスラヴ叙事詩の回りは騒がしくなりそうです。
Mucha本人が生きていたらどうしたでしょうか、、、。
スラヴ叙事詩が日本に訪れる事になったのはチェコと日本の国交回復60周年を祝うという両国にとってとても大きな行事に合わせて決まった事だと思っています。これは既に民間レヴェルを超えているので止められなかったのではと私は思います。(実際あの巨大な絵をどの様に輸送したのかは気になるところ、日本の最新の技術を駆使したかとは思いますが)
そんな事もあり、絵の中にも「政治」、絵の外でも「政治」が絡んでいるなーと思い、この絵を題材に選んだ訳です。
Muchaが生きた旧チェコスロバキア時代は苦難の時代でありました。第一次世界大戦終了まではオーストリア、ハンガリー帝国の支配下で暮らし、その後祖国復権するも第二次世界大戦ではナチスドイツの侵攻を受け、Mucha自身も民衆に良くない影響を与える画家としてゲシュタポに捉えられ、尋問を受け、高齢のMuchaはそれですっかり弱ってしまい、釈放から数か月後亡くなってしまいます。
(ミュシャのBiography等はMucha Museum等をご参照ください。)
第二次世界大戦後、『スラヴ叙事詩』自体も国内では古めかしい考え方として受け入れられず、長く南モラヴィア州モラフスキー・クルムロフ城にひっそりと展示されているだけでした。その後アールヌーヴォーやMuchaへの注目が再び高まり、スラヴ叙事詩にも関心が及んだ訳です。
Muchaはアールヌーヴォーで一時代を築きますが、その華やかな作品だけでなく、自国がどれほど他の国の干渉を受け苦悩をしたかを肌で体験している彼は国を想う気持ちや祖国統一、独立への気持ちが強かったのだと思います。『スラヴ叙事詩』を18年という歳月を掛けてまで描き上げる情熱もまた、彼の生きた歴史の一部なのです。
是非是非そんなMuchaの一面も知ってほしいです。
今回の授業でスラヴ民族に対して更にリサーチを進めたので奥深いスラヴ民族の歴史と現在の状況等もいつかもっとリサーチ出来たらいいなーと思いました。
スラヴ民族に関してはこちらを参照しています。
スラヴ民族は割と西ヨーロッパを拠点として拡大しているのでそれぞれの特徴や宗教の違い等も非常に興味深いですね。
日本人なのにそこまで調べますかよ、、、と言われてしまいましたが、他民族に関する知らない事を調べるのは楽しいなーと思いましたけども。元々歴史大好きなので全く苦じゃない、ただ英語で調べるのが苦なだけよ、、、。
来年はどの様な課題が出るか分かりませんが、探求心を失わずまた頑張りたいです。
後はLanguage SchemeのGermanとEnglishを残すだけとなりました、、、いやー、Block過ぎてゆくのあっという間ね。
来年はもっとマンガばかり読んでないで計画的に進めないと、絶対ついていけないよ、、頑張らなきゃ。
今日はテスト前の最後のGermanで今までのおさらい等をしたんだけど、私ったらほんと子の調子でLevel2に行けるのかしら、、、、まあ試験パスしないといけないんだけど。
クラスが終わってから中国人の子たちと近くの中華のテイクアウェイに。
ちょこっと座るところがあるのでそこでご飯を食べてから帰ってきました。
今タームだけ短期の留学に来てるフランスに留学してる子(MA)と、マレーシアから家族で移住して来ていて、来年からは他の国に留学を検討している子(BA)とファッションMAの子と4人で。
なんか今更だけど中国人うらやましい、沢山同胞がいて。
私ほんとに少ししか大学にも日本人の知り合いいないし、いつでもどこでも母国語話せるのと情報交換とか出来るのってほんと良いなーって近頃しみじみ思う。
日本人ばかりで日本語ばかり話すのもなー、とは思ってみるものの、実際そんなに日本人いないし、今現在日本語が話せるのって数少ない大学の知り合いに遭う時と、バイトの時ぐらい。
たまにそれが心細くなっちゃうよねー、、、ほんと。
今に慣れる日が来るのかしら。
また来週テストの時にー、と言って別れました。
フランスに帰っちゃう子は24日までいるようなので一度ディナーに行く約束をしています、楽しみ♡
さて、最近フラットで風雲急を告げる出来事がありまして。
日曜日にやけにドタバタしてるなーと思ったら、番長率いる3人が引っ越ししたようで、月曜日にマネージャーに聴いたところによると、ゴミ問題に耐えられずEn-suiteからStudioタイプに3人そろって移動したらしい。
ゴミ問題、、、、
お前らが言うのかよー^^^^^^^^
って思ったのは私だけでしょうか、、、。
これでキッチンのゴミと汚してるやつ誰なんだ問題が解決したなら絶対奴らが原因だけど、彼女らだけじゃないと思うのよねー。
まぁ、それも1週間のうちにはっきりすることでしょう。
とは言え、他の子たちも来週には実家に帰ってしまうでしょうからまた来年までゴミ問題、キッチン汚染問題は持越しですね。。。
共有部分をきれいに使おう精神がないのにこれからオフィスで働いて共有給湯室とかテーブルとか片づけ、、、まぁしないんでしょうね(期待してはいけない)
空いた3つの部屋に来年誰かが入って来るかは謎ですが、また新しい人が入ってきたら入ってきたでもめたりすんでしょうなあぁ、頭痛いわ。
早く来年の夏になってほしい。
来年は慎重に家選びはしたいと思います。
今日はうっかり長くなってしまいました、、、、
明日は英語の授業だけ、のんびり寝るぞー。
ファイヤーアラームが鳴らなければなっ(# ゚Д゚)
あくまでも残念なこの民間学寮、、、。